タイムマシン › 2015年02月

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2015年02月05日

ああもったいない

石油から出る揮発成分には有害性があり、主に脳や神経にダメージを与えます。またガンや白血病、再生不良性貧血などの原因物質にもなり得ます。

それから石炭を燃焼させたときに出る微小粉塵は肺に蓄積され、気管支炎や肺ガンを引き起こす恐れがあります。今が旬?の中国からのPM2.5も、殆どは石炭暖房からの排煙です。

また原油運搬中のタンカーの座礁事故も時々起こりますけれども、流出した原油による海洋及び沿岸の汚染が問題視されます。

それからLNG。実は東京都の地下には割と豊富な天然ガスが眠っているのですが、時々、地上に噴出して火災を引き起こしています。関東大震災のときの大火災、そして過去度々江戸の町を襲った大火災も、原因はこのガスによるものではないかとも言われております。

もちろん、こういった有害性や危険性も「頻度」や「程度」の問題ですけれども、「化石燃料だから絶対安心」なんてことはないのです。

ちなみに核燃料ですけれども、使わないでいると徐々に崩壊が進み、やがてぜんぜん使わないまま放射性廃棄物になってしまいます。何も恩恵を得ないまま核のゴミになってしまうんですよ。

また、使わなくとも崩壊熱を取り去るための冷却は欠かせません。つまり原発は稼動してようが停止してようが、炉内に燃料がある以上リスクは大して変わらないのです。

それなのに「原発が止まっているから安心」だとか、「火力だから大丈夫」などと考えるのは、浅はかと言わざるを得ません。

使えるものは徹底して使いましょうよ。   


Posted by dgfjas6fさんの日記 at 16:21

2015年02月02日

光の射す方へ

神戸と言うと、三宮や元町のようなオシャレな街をイメージする人が多いのではなかろうか。それは大いなる幻想だと最初に言っておく。どこの街にも光と闇があるように、神戸にも闇の部分はある。光と闇がちょうど良い塩梅で同居したのが、つまるところ、神戸の街なのである。

昨日行って来たのは、新開地というところで、結論から言えば、闇の部類に入る。とにかくダサい。何がダサいかというと、その昭和の風情を今に伝える景観の悪さである。駅から地上へ出ると、まず真っ先に視界に入るのは、巨大なアーケードに覆われた商店街と灰色に煙ったビルの一群だ。そして、アーケードを潜って商店街へ入って行くと、右も左も汚い施設だらけ、しかも、圧倒的にパチンコ屋が多くて、いつも耳を聾する騒音を吐き散らしている。無論、商店街を抜けても景観は汚いままだ。

新開地本通りは、まさにダークゾーンと言って差し支えないほど、退廃的な色を帯びている。通りに沿って申し訳程度に整えられた並木道を通って行くと、やがて、右手に競艇場が見え、恐らくは無職と思われるおじさんたちが新聞片手に列を為している。おじさんたちの表情は悲喜交交で、欣喜雀躍してエロ映画館や福原(神戸のソープ街)に繰り出す者もあれば、青菜に塩の風情で通りの向こうへ消えていく者もある。おじさんたちを冷やかし半分に流し見しながら並木道を抜けると、十字路があって、その角に赤い幟の立てられた老舗のラーメン屋がある。どう見ても、不味そうなラーメン屋だが、店内からは、芳しいスープの香りが夏風に煽られて鼻孔に届く。

匂いにつられて入ってみたところ、水木しげるの漫画に出てくるサラリーマンのおっさんみたいな人たちが、鼻をヒクヒクさせ、荒い呼吸を繰り返しながら、目の前のラーメンを一心不乱にすすっていた。おっさんたちの背後の壁には、往年の俳優、バート・ランカスターやカーク・ダグラス、それにクリント・イーストウッドの映画ポスターがこれ見よがしに貼られ、その頭越しに男前の顔を決めているのだが、何せ、おっさんたちがあまりに水木しげるチックの不細工なので、折角のレトロでハードボイルドな雰囲気もブチ壊しなのであった。気持ち悪い、死ねばいいのにと思った。

だが、肝心のラーメンはと言うと、そんな不快感も吹き飛んでしまうほど美味かった。スープと麺を味わってほしいという配慮からか、具材は少なく、麺も程よく絡んで、口当たりも良い。私は些か乙女チックな言い方で、こんなの初めて、と言って、店主と店員たちを褒め讃えた。

懐かしの味に舌鼓を打ち、暖簾を潜ると、目の前に五本の旗の立った建物が現れる。そこが神戸ビレッジアートセンターだ。この施設で、毎年、「神戸爆音映画祭」なる映画の祭典が催されている。私が、こんな汚い街までわざわざやってきたのは、知人のY氏と共にある映画を観るためだった。

「オンリーラヴァーズレフトアライヴ」、つぶやきでも触れた、ジム・ジャームッシュ監督の最新作である。現代を生きるヴァンパイアたちを描いたこの物語は、全編を通してアンニュイな空気に包まれ、この汚い街に少なからず通じる部分がある。映画館を出て、私はその思いを強くした。

街は人々の飽くなき欲望と虚無とある種の気怠さに塗れ、まるで、そこだけが世界から切り離されて存在しているかのように、廃墟よろしく横たわっているのだった。こんな街に一秒でも長く居てはいけないと思った。この混沌とした世界に押し潰されないように、そして、この街以外にも世界があることを確認するために、私達は、光の射す方へと足を運んだ。
  


Posted by dgfjas6fさんの日記 at 17:22